のびゆく農業:No.1042:困難を伴った原産地呼称 「シャンパーニュ」の産地の範囲確定の作業
■原文:
・Claudine WOLIKOW, Maître de Conférence, Université de Paris X Nanterre 「La Champagne viticole, banc d’essai de la délimitation (1908-1927)」
■発行:2019年3月31日
■解題・翻訳:髙橋 梯二(トウールーズ大学法学博士)
■対象:フランス
■ページ数:46p.
■在庫:あり
■目次:
- 解題
- シャンパーニュワインの産地区域確定の試み
- まとめ
- Ⅰ.1903年-1905年の産地区域確定の動向
- Ⅱ.1905年から1908年まで 制限的な産地区域か、拡大産地区域か、多様なシャンパーニュの地理的範囲
- Ⅲ.1909年-1911年-1914年:ドレフスは見直された、シャンパーニュは見直される
- Ⅳ.1919年-1927年:多くの裁判とバルト議員の仲裁及び1927年法の成立
- 参考Ⅰ AOC「シャンパーニュ」の生産条件に関する政令(第2010-1441号、2010年11月22日付)の記述部分「地理的区域との関連」の翻訳
- 参考Ⅱ EUのワインに関する地理的表示制度の基本的思想と制度の概要
■解題より:
シャンパーニュの産地はパリの北東部でセーヌ川の集水域の範囲内にあり、パリからそれほど遠くない距離にある。17世紀後半からシャンパーニュの発泡酒が生産されるようになり、18世紀中ごろまでに製法が完成してくるにつれフランス国内はもとより海外でも名声が急速に高まっていった。発泡酒の製法が開発され、確立するまでにはある程度の年月を要している。これは、産地のブドウ生産者、ネゴシアン等の流通業者及びシャンパーニュのワインを最終製品として仕上げるメゾン(maison, 英語では「house」と呼ばれるワイナリー)との相互協力によって形成され、今では大きな価値を生み出すシャンパーニュの産地の共同の知的財産となっている。
シャンパーニュの発泡酒は、原産地呼称(地理的表示)産品の生産の哲学に則して形成されてきた典型的な例であるといえる。それは、産地の自然とワインを造る人の意図と工夫の見事な融合と調和である。シャンパーニュの自然は、土壌はジュラ紀後の白亜紀にできた白亜層であり、雨が多く湿気が高い時は白亜質の岩石の多孔質を通じて水が排出される。また乾燥すると多孔質から毛細管現象によって水が上昇して水分が供給される。パリ盆地に連なる大平原には穏やかな丘陵が存在し、特に、南東向きの丘陵の斜面は春から夏にかけ日照が十分得られ、水はけもよいのでブドウ栽培には適していた。さらに、ワイン産地としてはフランスの最北端に位置し、寒さによりブドウの酸味が強いが、ワインを発泡にして長い間寝かせれば新鮮で美しい高貴な酸味になることを生産者が見つけ出した。さらに長い間静かに寝かせることができる白亜質の地下のカーブが岩石の採掘の跡としてローマ時代から存在し、生産者が巧みにこれを利用した。寒い年にはブドウの収穫が減少しブドウが不足になるという欠点もあった。この理由もあって産地外のブドウによるシャンパーニュのワインが出回るということにもなった。これに対しては産地名を守る原産地名称の保護で対応してきた。また、「シャンパーニュ製法(méthode champnoise)」の表現もAOCシャンパーニュのワインでないと使用を認めないように働きかけてきた。さらに、今では、「シャンパーニュ」の名称がワイン以外、たとえば香水、服飾の名などの産品等に使われないようにも努力している。