のびゆく農業:No.1068:次期CAP改革に向けてのキックオフ
・次期CAP改革に向けてのキックオフ
■発行:2025年4月30日
■解題・翻訳:安藤 光義(東京大学)
■ページ数:46p.
■在庫:あり
■目次:
解題
欧州委員会から欧州議会、閣僚理事会、欧州経済社会委員会、地域委員会に向けて―農業と食のビジョン:将来世代のための魅力的な農業と食品産業を共に形成するために―
1.将来世代のための魅力的な農業と食品産業を共に形成するために
2.2040年のビジョンと目標: 現在と将来の世代にとって魅力的で競争力があり、持続可能で公正な農業・食品産業システム
3.農業・食品産業の繁栄のための政策設計を一緒に行う
4.環境整備:研究、イノベーション、知識、スキルをEUの農業・食品経済の中心に置く(デジタル化は新たなステージへの移行の原動力)
5.結論
■解題より:
昨年(2024年)2月に続けて発生した農業者によるデモを直接的な契機として、EUでは共通農業政策CAPの見直しの動きが始まっている。
その最初は直接支払いの受給要件であるコンディショナリティの環境要件の緩和である。2024年3月15日に欧州委員会が改正案を公表、同年5月13日に欧州理事会で採択され、5月25日に発効している[1]。
また、それよりも前の2024年1月25日に第1回目の「EU農業の将来に関する戦略的対話」[2]が開催されている。今後のEU農業について検討が行われ、その最終報告書が同年9月13日に公表された。この最終報告書は14項目について提言を行っているが[3]、これに基づいて欧州委員会は、2024年11月1日から始まるフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長による第2期政権発足後100日以内に「農と食のビジョン」を発表することが予定されていた。
それが今回紹介する、欧州委員会から欧州議会、閣僚理事会、欧州経済社会委員会、地域委員会に向けて「農業と食のビジョン:将来世代のための魅力的な農業と食品産業を共に形成するためにA Vision for Agriculture and Food:Shaping together an attractive farming and agri-food sector for future generations」(2025年2月19日公表)である。全文は27頁とそれほどの分量ではないが、今後の農業と食料に関する政策の方向性を示すものである。まだCAPの改革案はEU委員会からは出されていないが、そのキックオフにあたる文書だと考えることができるだろう。
構成は次のようになっている。
1.将来世代のための魅力的な農業と食品産業を共に形成するために(2-4頁)
2.2040 年のビジョンと目標: 現在と将来の世代にとって魅力的で競争力があり、持続可能で公正な農業・食品産業システム(5-6頁)
3.農業・食品産業の繁栄のための政策設計を一緒に行う
3.1 公正な生活水準を確保し、新たな収入機会を活用する魅力的な農業・食品産業の確立(6-11頁)
3.2 グローバルな課題に直面する競争力のある強靭な農業・食品産業(11-17頁)
3.3 自然と共存する農業・食品産業の将来の確実な実現(17-20頁)
3.4 食料の価値を高め公正な生活・労働条件を整備して農村地域を活力あるものにする(20-24頁)
- 環境整備:研究、イノベーション、知識、スキルをEUの農業・食品経済の中心に置く(24-26頁)
5.結論(26-27頁)
この構成から分かるように最も分量的に多いのは4つの節から構成されている「3」であり、全体の3分の2を占めている。また、その中では「3.2」の量が特に多い。
文書にはいくつかの小見出しが付けられているとともに、重要とされる箇所はゴシック体で表記されている。その小見出しと太字の部分のいくつかを繋ぎ合わせることで、この文書の概要の紹介に代えさせていただくことにしたい。
「1」では、農業と食-漁業を含む―はEUにとっての戦略的な産業であり、食はEUの競争力の一部であり、農業と食は農村地域や沿岸地域の活気に満ちた経済的に豊かなコミュニティを維持するのに不可欠なものであるとしている。一方、農業や漁業は自然との協働であり、農業者、漁業者、食品業者は革新者であり起業家であるいう見方を打ち出している。そして、私たちの生活と生計において農業者が果たす重要な役割を認識し、競争力を強化し、農業という職業の魅力を高めることが、今日、明日、そして2040年に向けて農業者が繁栄し、経営を革新し、社会に対して多くの利益をもたらすために不可欠であるとする。また、今後の政策形成においては関係者の間の信頼関係の構築と対話が重要であるとしている点が注目される。
「2」では、タイトルにあるように、現在と将来の世代にとって魅力的で競争力があり、持続可能で公正な農業・食品産業システムの実現のために取り組むべき4つの方向性を示している。①農業収入によって農業者が繁栄し、誰もが手頃な価格で買うことができる食料を生産できるようにすること、②世界的な競争の激化やショックに直面しても、競争力があり回復力のある農業・食品産業にすること、③農業・食品産業は地球の限界を超えない範囲に収めること、④農業と食品産業は食料を大切にし、公正な労働条件と生活環境を促進し、縁辺地域も含め農村地域や沿岸地域を活気があって社会的な繋がりのあるものとすることである。そして、それには研究、知識、スキル、イノベーションがもたらす変革への投資が重要だとしている。
「3」は4つの節に分けて記す。
「3.1」では、①公正で平等なフードチェーン(生産コスト以下での販売を農業者に組織的に強制する慣行は容認できない/生産コスト以下での生産物の販売を農業者が組織的に強制されてはならない)、②より公正で的を絞った公的支援(CAPを通じた公的支援による収入支援が引き続き不可欠/単純な所得支援措置/最も支援を必要としている農業者に/逓減的な直接支払い制度や支払金額の上限設定などの措置/一層の合理化)、③イノベーションの機会を活用して所得を増加させる(若い農業者はイノベーションの推進者/有機栽培やアグロエコロジーの実践/バイオエコノミーと資源循環/カーボンファーミング/ネイチャークレジット/再生可能エネルギー)、④野心的な投資項目の設定(資金を調達し、持続可能な状態に移行する際に生じるリスクを回避する大胆な行動/農業と食品産業における中小企業への投資を誘致)、⑤企業家精神の強化:新しい世代への刷新戦略(世代交代を阻んでいる障壁を取り払う/離農給付金や税制上の優遇措置/ EU農地監視機構)の5つが掲げられている。公正な価格形成、中小規模経営を重視した直接支払い、世代交代・若手の力を活用したイノベーションの推進とそれへの資金的支援がポイントとなっていると訳者は読んだ。
「3.2」では、①サプライチェーンの多元化と変革的なレジリエンスへの促進(戦略的依存関係を減じ、サプライチェーンのリスクを回避する)、②より公正なグローバルな競争に向けて(❶グローバルな二国間協力【相互主義の深化/農業・食料経済外交】、❷競争力のある農業・食品産業のためのEUの枠組み【輸入製品に適用する生産基準についての合意を、特に農薬と動物福祉に関して、強く求めていく/健康と環境上の理由からEUで禁止されている最も有害とされる農薬については、輸入製品を介してEUに入れない/輸入管理について一層の強化/動物福祉規定/統一安全ネット/原産国表示制度の拡大】)、③農業・食品産業における備えとリスクの防止(欧州気候適応計画/水資源強靱化戦略/欧州食料安全保障危機メカニズム/EU準備戦略)、④農産物市場の強靭性の支援(EUの畜産には長期ビジョンが必要/畜産に関する作業部会)、⑤競争力のある農業・食品産業育成のための諸規制の削減(現行の農業立法枠組みについての簡素化パッケージ/分野横断的な立法簡素化措置パッケージ)の5点が記されている。EUは高度な安全基準を域内農業・食品産業に課しており、それが国際競争にとって不利にならないような国際交渉を断固として行い、特に動物福祉で高い基準を実現している畜産についてはこの方針を貫くとしている。
「3.3」では、①脱炭素と競争力の強化の連携(農業の特殊性を考慮し、その競争力、食料安全保障の確保とバイオエコノミーの強化が必要である点を重視/特定のニーズに応じた優れた農法などを奨励する効果的な政策)、②持続可能性へのインセンティブ(持続可能性に関する基準が設定され、認証作業、報告義務などが大幅に増加/報告義務を合理化し、農家の管理負担を軽減するワンストップショップ/ベンチマークを設定/生態系サービスの提供)、③農業と自然(生物農薬/健康な土壌/信頼できるアドバイス機関/水資源強靭化戦略/土壌栄養素管理)の3点が掲げられている。とにかく簡素な方式で農場レベルでの環境公共財供給の計測すること、そのためのベンチマークの設定がここでの最大の課題である。直接支払いに対する環境要件の強化はCAP改革の一貫した方向性であり、その具体的な方法が示されたと言えるだろう。
「3.4」では、①ヨーロッパの農村部と沿岸地域における公正な生活・労働条件(精神衛生/新たな欧州政策の優先事項/農村プルーフィング原則/参加型地域開発ツール/機能的農村地域)、②食を大切にする:農業、土地、食料の間の本質的な繋がりを再構築し、イノベーションの力を活用する(食品、地域、季節性、文化、地元の伝統との間の繋がりを再構築する/食の対話/公共調達/学校給食制度/既存の動物福祉法の改正/食品ロスと食品廃棄物を削減)の2点が記されているが、それぞれに様々な内容が含まれており、要約するのは難しい。農村政策はCAP以外の欧州政策との補い合いながら抜け落ちている課題や地域がないように推進していくこと、公共調達、特に学校給食の重要性、食品ロスと食品廃棄物の削減などがポイントだと訳者は読んだ。後者は日本でも同様の取り組みが進められようとしており、基本計画に書き込まれているが、前者のような視点は欠けているように思う。
「4」では、①デジタル化は新たなステージへの移行の原動力(農村地域でのインターネットの接続環境を確保する/デジタルスキルの生涯学習やアドバイス/「一度収集したデータはその後、複数回使用する」という原則)、②変化を媒介する知識、調査、イノベーション(サンドボックスで試行・実践し、イノベーションを取り入れる/農業、林業、農村地域の競争力向上のための研究開発に向けてのEUの新しい戦略的アプローチ)、③農業における知識とイノベーションシステムを強化し、指導を行う(農業知識・イノベーションシステムの強化/独立した有能なアドバイザーの役割を強化)の3点が掲げられている。デジタル化とイノベーションを強力に推進するというのが基本姿勢であり、環境要件との関係ではデータ収集とその後の利用が具体的な提案となっている。日本でもスマート農業の導入とDX化が推進されているが、この文書の中に参考になる点があるように思う。
「5」では、「このコミュニケーションペーパーは、4つの優先分野を設定し、その振興方策に関する今後の方向性について欧州委員会の考察を深めるため対話を開始する」としている。これを出発点として次期CAP改革の議論の前哨戦が始まることになる。
[1] 要件緩和の詳細は、欧州連合日本政府代表部「EU農林水産業・食品をめぐる最近の事情」(2024年9月)によると以下の4点とされている。
①休耕地の設定など非生産的な用地への最低限度割当(4%)を定めるGAEC8について、当該割当義務を廃止する一方、農家がそうした割当を行った場合の奨励制度を加盟国が新設し、財政支援が受給可能に。
②耕地における輪作について定めるGAEC7について、輪作の慣行は維持しつつも、加盟国が輪作の代替手段として農家にとってより簡易に対応可能な作物多様化を選択できることを可能に。
③非栽培時期など土壌が脆弱な期間中に土壌保全対策を行うことを定めるGAEC6について、①加盟国の状況に応じた「脆弱な期間」の定義設定や、②特定の土壌の種類等の適用除外が可能に。
④10ha以下の小規模農家(CAP受益者の65%に相当、農地面積では約10%)は、環境要件の遵守に関する監視と罰則が免除
[2] 前掲注(1)によれば、ピーター・シュトローシュナイダー教授(ドイツ連邦政府「農業の将来委員会」元議長)を議長とし、欧州農業組織委員会・欧州農業協同組合委員会Copa-Cogeca、欧州青年農業生産者協議会CEJA、FoodDrinkEurope(欧州の食品・飲料事業者団体)等の29の関係者によって構成されている。
[3] JETROビジネス短信「EU農業の将来に関する戦略的対話、最終報告書を公表」2024年9月18日(https://www.jetro.go.jp/biznews/2024/09/fdc4fc2d0092d72d.html)の添付資料によると以下の14項目が紹介されている。
①食料バリューチェーンにおける生産者の地位向上(生産者の協同を推奨し、生産コスト削減や効率性を高める/不公正な商習慣の是正を進め、生産者の所得を増やす)
②持続可能性向上に向けた新たなアプローチ(農場の持続可能性評価方法について、EU共通のベンチマーク制度を設ける)
③共通農業政策CAP改革(小規模生産者、青年農家や新規就農者などをより手厚く支援する/対策に積極的な生産者への支援強化により、環境、社会、動物福祉(アニマルウェルフェア)分野の成果を普及させる/環境保全や気候変動対策への支援を年々増額させる)
④より持続可能で競争力がある食料システムへの移行の財源確保(官民資金の動員や、CAPとは別枠組みの「公正な移行暫定基金(仮称)」を創設する)
⑤通商政策における持続可能性と競争力強化の推進(貿易協定交渉における農業・食品分野の交渉戦略や、交渉開始前に実施する影響評価の実施方法を見直す)
⑥より健康的で持続可能な食生活(バランスの取れたタンパク質摂取のため、植物由来のタンパク質の摂取を増やすよう消費者を啓発する/EUの食品ラベル関連法令を包括的に見直す/子供向けの製品マーケティングに関連する現行施策の評価報告書を作成する/EUおよび加盟国による持続可能な食品の公共調達を推進し、フードバンクなどへの支援強化に資する政策枠組みを策定する)
⑦持続可能な農業生産の推進(化学肥料や農薬の使用削減や、化学肥料生産の脱炭素化などを推進する/有機農業など環境負荷が少ない農業生産を引き続き推奨する/CAPとは別の枠組みで「自然再生基金(仮称)」を創設し、生産者や土地管理者の環境保全対策を支援する)
⑧農業分野の温室効果ガス(GHG)排出削減(農業部門ごとのGHG排出量測定システム策定に向けた方法論や、必要な資金調達を可能にする道筋となる施策を策定する/農業部門を対象とする排出量取引制度(ETS)については、関係者や専門家と実効性について協議を続ける)
⑨畜産部門の持続可能性向上(科学的根拠や関係者への意見聴取の結果に基づいた畜産部門に関する戦略の策定プロセスを示す/畜産業が特に盛んな地域については、その地域に特化した長期的な解決策を策定し、必要な財政支援を行う/アニマルウェルフェア関連法令の見直しや、EU共通のアニマルウェルフェア・ラベルに関する規制枠組みを策定する)
⑩環境保全とイノベーションを活用した植物育種(2050年までに農地の土地利用転換を実質ゼロにするため、法的拘束力を持つ目標を設定する/気候変動に強い、包括的かつ持続可能性がある植物育種を支援する)
⑪リスク対応と危機管理の強化(農業生産に必要な重要物資の域外依存を低減させる/リスク管理ツールの統合や、生産者の農業保険加入を推進する)
⑫多様な人材の確保(農地、資金支援や労働条件の改善を図り、若者や女性など多様な人材の就農を支援する/研修や対話を通じ、スキル習得やより公正な労働条件の実現を宣伝し、人材確保につなげる/長期的なビジョンの実施などによって地域を振興する)
⑬新たな知識やイノベーションの活用(イノベーションやテクノロジーの活用を推進し、活用拡大に向けた助言サービスを実施する/研究開発分野における官民協力や投資拡大を推進する)
⑭新たなガバナンス、協力体制(関係者間の対話や提言実施に必要な戦略の特定のため、「欧州農業・食品委員会(仮称)」を設立する/行政手続きのデジタル化や簡素化の推進、可能な限り包摂的な政策や意思決定プロセスの実現を目指す)