短報・コラム:日本酪農発祥之地「嶺岡牧」の今日的意義(後編)
<前編よりつづく>
4.嶺岡牧まるごと体験
昨年(2012年)1月・2月、千葉県酪農のさと・嶺岡牧研究所によって「日本酪農発祥の地・嶺岡牧まるごと体験」が開催された。これは嶺岡牧をめぐり「歩」「食」「作」の三本柱をコンセプトとして、まさに「まるごと体験」をやってしまおうという大変お得なツアーである。
行程は、「歩」嶺岡牧散歩(今回は約6kmコース)→「食」嶺岡の郷土食体験→「作」酪づくり体験となっており、参加費は大人1人2,000円、小学生以下1人1,000円(要保護者同伴)であった。地元の広報紙やポータルサイトなどで募集すると、当日には子ども連れの若い夫婦、いわゆる「歴女」「歴男」を思わせるような若者、山歩きを趣味とする中高年世代など多様な年齢の人たちが参集した。
先述したように、嶺岡牧は南房総市と鴨川市にまたがる巨大な産業遺跡である。千葉県酪農のさと・嶺岡牧研究所の専門スタッフが「スチュワード(Steward)」として遺跡のなかをガイドしてくれる。スチュワードとは執事や世話役を意味する言葉であり、環境省『ラムサール条約用語和英対訳集』には「local stewardship」を「地域による管理(スチュワードシップ)」と訳している。スチュワードが地域をリードしていく。
スチュワードに先導され、ところどころでレクチャーを受けながら、安房地域の低山のなかを散策する。歩きながらだと、不思議と知識が頭の中にスッと入ってくる。嗚呼いつも机上ではそうはいかないのに、どうしてだ……。そういえば、福澤諭吉は散歩をこよなく愛したと言われる。福澤は塾生と一緒に歩きながら学問をした。私の母校のある藤沢にはかつて小笠原東陽という儒学者が耕余塾を開設し、小笠原もまた塾生と一緒に湘南海岸を歩きながら学問をしたとされる。昔の学者はよく歩いたのだ。
なるほど、歩くことは学問をするということである。地域史の知識が歩きながらしっかりと積み上げられていくことを実感した。博物館で学芸員から受けるレクチャーとも一味違う。都会の喧騒から離れて、おいしい空気でリフレッシュでき、しかも学問までをも楽しむことができる。素晴らしい!これが論語でいう「知好楽」なのであろう。久しぶりに清々しい気持ちになれた。
ツアー出発地の千葉県酪農のさとに戻ると、館内では地元の鴨川郷土料理研究会いろり波田の手作りによる「嶺岡みるく御膳」が用意されていた。地元の長狭米や赤米を使ったごはん、ポタージュスープのような味わいの味噌汁、すき焼き風の牛乳豆腐、デザートの牛乳寒天などがあり、参加者は牛乳尽くしの料理を楽しんだ。その後、参加者は牛乳豆腐作り、酪作りを体験した。
5.日本酪農発祥之地「嶺岡牧」の見直しを!
こうした取り組みはエコツーリズムの一環であると言うことができるかもしれないが、嶺岡牧が産業遺跡であることを考えれば「カルチュラルツーリズム」として捉えることができる。千葉県酪農のさと資料館では、嶺岡牧が日本酪農発祥之地であることが紹介されているが、前述のようなカルチュラルツーリズムをも埋め込んだ積極的な博物館活動によって、安房酪農ひいては日本酪農・乳業の見直しが図られる可能性がある。また、筆者もファシリテータとして参画している地域住民参加型の自主組織「嶺岡白牛酪研究会」が発足し、酪の復元のみならず、酪の新たな活用についての模索も始まった。地元農家などとの協力によって、6次産業化による地域活性化をも視野に入れた取り組みが行なわれており、それについては近いうちに、嶺岡牧をめぐるカルチュラルツーリズムについての続報と併せて報告することとしたい(注5)。(了)
<注>
(5)嶺岡白牛酪の歴史的展開・復元、嶺岡白牛酪研究会の活動については、佐藤奨平「嶺岡白牛酪の生成・発展・普及に関する研究―食文化的視点からの接近―」(一般社団法人日本家政学会食文化研究部会第25回研究大会、2012年11月)において報告し、当日会場のフロアーからは多くの建設的なコメントおよび質問を賜った。記して感謝を申し上げます。
付記:現地調査に際しては、農学生命科学研究支援機構「調査に対する活動経費の助成」より支援を受けました。記して感謝申し上げます。
(研究員・佐藤奨平)