農政調査委員会は農業、農村の現場から提言します - Since 1962

のびゆく農業:No.1063-1064:英国の農村政策の現在 ―農村経済センターCRE からの政策提言―

・英国の農村政策の現在―農村経済センターCRE からの政策提言―


■発行:2024年2月29日

■解題・翻訳:安藤 光義(東京大学)

■対象:英国

■ページ数:68p.

■在庫:あり

■目次:

解題
【総括】農村政策再考―持続可能なコミュニティ、企業、土地利用の未来のための重要なメッセージ―
【1】未来の環境の共同プロデュース―公共財・土地管理者・保護地域―
【2】人権としてのデジタル接続―村の集会所が果たす役割―
【3】「私は番号ではない」―英国の季節農場労働者のウェルビーングを探る―
【4】景観スケールの環境再生のための生態系サービス市場への投資―景観企業ネットワークの可能性と課題―
【5】欧州の永年草地の景観に関する人々の認識と価値観
【6】人々と食と農業の再結合―革新的なエンゲージメント実験から得た教訓―
【7】農村企業ハブによる革新的な農村事業の成長支援
【8】農業経営における女性起業家

■解題より:

 

 ニューカッスル大学の農村経済センターCentre for Rural Economy(CRE)は 1992年の設立以来、英国にとどまらず EU に対して農村政策に関して積極的な提言を行い、農村研究をリードしてきた。「新しい内発的発展 Neo Endogenous Develop-ment」、「逆都市化 Counter Unrbanisation」、「農村経済 Rural Economy」、「未来分析Future Analysis」といった言葉は既に一般化した感があるが、そうした概念を早くから提起し、それに基づく政策提言を行ってきた。初代のセンター長はフィリップ・ロウ Philip Lowe 教授、第 2 代センター長は Neil Ward 教授であり、両者のペーパーは『のびゆく農業』でも紹介してきた(註1)。フィリップ・ロウ教授は逝去され、ニール・ウォード教授もイーストアングリア大学に学部長として迎えられて CREを去ったが、長年にわたって築き上げられた伝統は今も引き継がれており、注目すべき業績が生み出されている(註2)。
 2022 年に設立 30 周年を迎えた CRE は 2023 年に一連の Policy Note を発表した。EU から離脱した英国は、これまでの共通農業政策 CAP とは異なる農業・農村政策を切り拓かなくてはならない。それに対する具体的な提言となっており、これを読むことで現在の英国が直面する農業・農村問題が何かを鳥瞰することができる。

(註1)
No.974『高齢化するイングランド農村』(2008)、No.980『イギリス農村政策の生成と変容—MAFF の解体から RPA の失策まで―』(2009)、No.982『イギリスにおける農村の未来分析―ニューレイバーの農村政策構築手法の特徴—』(2009)、No.1001『共通農業政策改革の青写真』(2011)、No.1003『農村地域経済と新しい内発的発展』(2012)、No.1009『農村は誰のものか―環境規制と狩猟禁止を巡る英国の論争—』(2013)などがある。
(註2)
No.1022-1023『農村再考—英国の農村政策が忘れているものは何か―』(2015)、No.1057『コロナ禍の英国農村 ―農村地域経済と社会への影響と今後―』(2022)など。後者は、移動制限が課せられたコロナ禍の下での農村の状況を的確に把握したものだが、ここには、口蹄疫の下で実施された農村閉鎖 Rural Shutdown の調査研究の成果が生かされている。

 

 この Policy Note は全体の総括にあたる少し長めのもののほかに、8つの短い各論から構成されている。この 9 つの論稿を訳出し、収録した。

【総括】農村政策再考—持続可能なコミュニティ、企業、土地利用の未来のための重要なメッセージ―(Rural Policy Revisited:Key messages for future sustainable com-munities, enterprise and land use)

【1】未来の環境の共同プロデュース:公共財・土地管理・保護地域(Co-producing environmental futures: public goods, land managers and protected areas)
【2】人権としてのデジタル接続—村の集会所が果たす役割―(Digital connection is a human right: what role can rural village halls play?)
【3】「私は番号ではない」—英国の季節農場労働者のウェルビーングを探る―(‘I am not a number’: Exploring the wellbeing of seasonal farm workers in the UK)
【4】景観スケールの環境再生のための生態系サービス市場への投資—景観企業ネットワークの可能性と課題―(Investing in ecosystem service markets for landscape-scale environmental regeneration: Opportunities and challenges for Landscape EnterpriseNetworks)
【5】欧州の永年草地の景観に関する人々の認識と価値観(Public perceptions and values associated with permanent grassland landscapes in Europe)
【6】人々と食と農業の再結合—革新的なエンゲージメント実験から得た教訓—(Public perceptions and values associated with permanent grassland landscapes in Europe)

【7】農村企業ハブによる革新的な農村事業の成長支援(Supporting the growth of innovative rural businesses through Rural Enterprise Hubs)
【8】農業経営における女性起業家(Women entrepreneurs in farm businesses)


 英国の農村は日本とかなり異なっていることを最初に指摘しておきたい。
 英国では都市農村計画法の下で農村地域の開発が厳しく規制されており、住宅の建設のハードルは著しく高い。そのため農村の住宅価格は高く、若い人の手に届かない。こうした農村の住宅を購入できるのは都市を脱出して農村に移住Escape to the country する中産階級である。彼らは B&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)などの観光業のほか、これまでのキャリアを活かして農村地域で新たな事業を起こし、農村経済を活性化させる存在でもある。コロナ禍の下で進んだリモートワークがそれに拍車をかけた面もある。これに対して日本の農村は、そこに入居できるかどうかは別としても空き家が増えており、価格も低く、住宅問題といっても全く違うものであるだけでなく、農村への移住者の社会的階層も異なっている。
 英国の農業は大規模農場が生産を担っており、生産性も高く、むしろ、環境破壊的な側面が認識されている。これに対し、日本の農業はアジアモンスーン地帯の水田農業であり、環境親和的なものとして理解されているだけでなく3、地域資源管理においてもむらの共同作業が重要な意味を有しており、日本型直接支払制度もそれを前提に構築されているという大きな違いがある。
 英国の農業・農村政策をそのまま日本に移植することはできないということである。ただし、地域振興にとってのコミュニティの重要性への着目、リモートワークの広がりとデジタル化推進の重要性、環境公共財の供給促進を図る土地利用の推進などは、デジタル田園構想に基づく農村振興、環境負荷低減活動の推進—もちろん、筆者がそれを支持するかどうかは全くの別問題である―といった日本の状況と重なるところがあり、多少は参考になるかもしれない。

(註3) 守山弘(1997)などを参照されたい。
 

 詳細は訳文を参照していただくこととして、この Policy Note が指摘している政策提言や問題認識の中で、筆者が重要だと考えた 5 点を以下に記すことで解題に代えさせていただければと思う(「 」は訳文からの引用)。


1)農村の貧困 Rural Poverty に注目する必要性
 「貧困は都市のものと考えられているが、多くの農村住民が貧困の危機に晒されている。生活費の危機(高騰)は特に農村の人々に大きな打撃を与えている。現在の福祉制度は農村の暮らしを踏まえたものとなっていない。サービスと支援の一元化とデジタル化は農村の住民に影響を与えている。その影響は不平等的に発現し、最も弱い立場にある人々に大きな打撃を与えている。」
 農村の貧困は暖房費、ガソリン代などの高騰によって悪化しており、日本でも寒冷な縁辺地域では英国と同様の問題が生じている可能性がある。また、デジタル化の推進は、それについていくことができない人々が取り残される結果となるが、日本も同様ではないだろうか。


2)状況に応じたコミュニティ支援の必要性
 「建物だけがコミュニティの社会的インフラストラクチャーではない。重要なのはこのインフラストラクチャーを使いこなすための資源と必要なスキルを備えていることにある。デジタル接続は、平等を達成するための農村コミュニティの社会的インフラストラクチャーの重要な構成要素である。農村地域は多様で、裕福な地域もあれば、貧しい地域もあるが、それぞれに固有の問題に直面しているため、政策にはさまざまなニーズに対応できるような汎用性が必要となる。信頼関係を築くには時間がかかる。コミュニティによっては、特別のコミュニティ開発を担当する人が必要となる。」
 コミュニティ支援の必要性は言うまでもないが、それぞれが抱える異なる事情に応じた施策が講じられるようにすること、コミュニティの人間関係に働きかけるような人材が必要であることの 2 点の指摘は注目される。


3)環境公共財供給のために農業者の協力をどのように取り付けるか

 「公共財の供給は公共の利益と私的な利益の間のバランスを取る行為であり、これを理解することが将来の環境土地管理施策 ELM の設計と社会的な実装にとっての鍵となる。これまでのもの(公共財供給)に加え将来の公共財供給の両方に適切な報酬を与える、単純な支払いシステムが必要である。農業者は信頼できる専門知識の提供が必要であり、また、その専門知識が社会全体から信頼されることを必要としている。」
 みどりの食料システム戦略は基本法検証部会の見直しでは環境政策の分野に入れられたため、直接支払いが実施される場合は英国、特にイングランドのような公共財供給に対する支払いとなると筆者は予想している。その場合、農業構造は全く異なるものの、英国は参照基準となる。ポイントは農業者の私的利益をないがしろにしてはうまくいかないということである。そうした制度を設計できるかどうかが日本の今後の課題となる。


4)外国人季節労働力確保のためのポイント
 「重要なのは個人を大切にする農場の文化であり、雇用主は労働者を労働力商品ではなく人間であると意識的に考え、番号ではなく名前で呼ぶことが求められる。リーダーシップと労務管理に関するアイデアや解決策を交換するインフォーマルな形での営農類型別のフォーラムの開催など、季節労働者を必要とする農業者への研修と支援の提供の検討は論理的な対策だと思われる。」
 技能実習生制度の廃止と新制度への移行に伴い、外国人労働者をいかにして定着させるか(転籍を防ぐか)が課題となっているが、英国の経験は労働力商品として決して扱わないこと、経営主の労務管理能力等の向上のための研修が必要であることを指摘している。


5)女性農業者をいかにして支えるか
 「農場所有者を中心に据えた単純な(経営)モデルとは違うモデルを考えることで、農場の意思決定の一環として女性に利益をもたらす可能性がある。農場の女性たちは新鮮な視点をもたらし、多くの場合、進歩的な変化を推進する鍵となる。多角化に取り組む女性への事業研修を優先して行うとともに、研修内容を目的に応じて見直す必要がある。」
 日本でもこれに倣う必要がある。女性の農業経営への参画は、英国では事業多角化という形をとる場合が少なくない。これに適合的な農場モデルを検討すること、女性農業者のニーズに応じた研修を実施することという指摘は日本にも適用できるように思う。

(註4) ケン・ローチ監督の映画『私は、ダニエル・ブレイク』では、主人公は公的支援を得ようとするが、オンライン申請しか受け付けないと言われ、慣れないパソコン操作に悪戦苦闘するシーンがある。この映画についての簡単な紹介は白水(2017)を参照されたい。また、英国の格差と貧困、財政緊縮が人々に与えた影響についてはブレイディ(2021)を参照のこと。

書籍購入のメール送信フォームへ

 

Share

Warning: Use of undefined constant publication - assumed 'publication' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/apcagri/www/apc/wp-content/themes/apcagri/single8.php on line 59