のびゆく農業:No.1065:中国農村における市場化改革の軌跡と電子商取引の現状
・中国農村における市場化改革の軌跡と電子商取引の現状
■発行:2024年12月20日
■解題・翻訳:山田 智子(日中経済協会北京事務所副所長)
■対象:中国
■ページ数:51p.
■在庫:あり
■目次:
解題
【論文1】中国農村における市場化改革-その回顧と示唆-
【論文2】農村電子商取引推進政策の就業効果とその仕組み
■解題より:
中国の農業に関心を持つようになってから約20年、今が一番、農業に関する日中間の比較がし易く、それによって日本が得られる示唆も多い、と感じている。
中国では1982年、それまでの厳格な計画経済だけでなく、市場調整も取り入れて農業・農村を発展させるとの政府方針が出された。この40年あまり、中国の発展は目覚ましかった。中国が急速に発展した時期はしばしば日本の高度成長期と比較され、また、昨今のいわゆる「コロナ禍」で経済が失速した今の中国はバブル経済崩壊後の日本と比較されることも多い。今では、少子高齢化、晩婚化、あるいは教育格差、人手不足などといった日中双方に共通する社会的、経済的な問題も多くなった。その問題解決のために日本が中国から学べることも増えており、特に中国におけるデジタル技術の活用からは日本は特に学ぶことが多いと感じている。
この40年間の変化について、農業・農村分野でも発展の軌跡や成果を振り返る論文が数多く発表された。本稿では、そのうち「市場」の改革に着目した論文を紹介している。中国語の「市場」は「需要と供給の均衡(が図られる場所)」を指すことが多く、「その商品に市場はあるのか」といったような「市場」と「需要」がほぼ同義で使われる割合は日本語ほど多くない。1982年の政府方針で用いられた「市場調整」とは、一義的には日本語でいうところの「需要と供給の均衡を調整する」ことであった。40年前の中国は貧しく、物資が国民に行き届いていなかったことから、「市場調整」の主眼は、旺盛な国内需要に対していかに供給量を増やしていくか、またその過程で生じる問題の解決を含む「均衡の調整」はどの主体がどのように行うのか、にあった。また、後者は、当時の出発点が社会主義計画経済だったことから、政府による統制のあり方を見直す、緩和することとほぼ同義もであった。これが、40年後の今では、中国は豊かになり、供給が過剰となっただけでなく、市場を調整する主体としての政府には統制よりも産業の振興や一層の需要喚起が求められるようになっている。このような、物を作っても売れるとは限らない状況、また、そのため生産物の販売に対して政府からの支援が求められる状況は、今の日本に通じるものがある。日本と同じような問題を抱える他国の農業・農村分野の研究者が、日本と同じような問題を解決するためにどのように過去の軌跡を振り返り、かつ、問題解決に向けた示唆を提示しているか、そこから日本はどのような示唆を得ることができるのかということを考えてみたい、これがこの論文を選んだ主な理由の一つである。
本稿がもう一つの論文、中国農村における電子商取引について紹介している理由も同様で、需要と供給にミスマッチが生じ、物を作っても売れるとは限らない状況に対して中国政府が推進している政策から何かしらの示唆が得られるのではないかと考えている。農村地域でいかに仕事を生み出し、人口減少を食い止め、地域社会を維持していくのかということも今では日中に共通する課題となっている。日本でも昭和時代から農村地域への産業誘致が課題となっているように、中国も同じ課題に直面し、現在、電子商取引関連産業が農村に誘致されている、ということである。本稿で紹介する論文の「電子商取引」は、単なる商品の取引方法を指すだけに留まらない。論文は、商品の提供から配送まではもとよりこれらに関連する宣伝広告、研修、決済、その他関連サービスを広く含んだ産業としての電子商取引を農村に誘致した結果、農村における就業構造がどう変わったのかを検証している。中国政府のこの取組からも何らかの示唆を得られるのではないかと考える。
なお、今の中国は供給が過剰であるとしたが、他方で、農林水産物の輸入は増えている。たとえば、日本は世界第三位の牛肉輸入国であり、国内で生産される量(2023年度で約30万トン)をはるかに超える量(同年度で約50万トン)を輸入しているが、中国はさらに日本の5倍以上の量(2023年で約270万トン)を輸入する世界最大の牛肉輸入国となっている。日本が海外から買い付ける牛肉の価格は、中国の消費動向、中国畜産業の供給能力、ひいては中国政府の自給政策などからも影響を受けている[1]。本稿で紹介している過去40年にわたる「市場調整」の概況からは、牛肉といった個々の商品に通底する今の中国政府の調整の考え方や姿勢も伺えるだろう。
本稿では、以上のような意図を持って2つの論文を取り上げた。以下では各論文についてその背景や最近の状況を紹介した後、論文の概要を紹介する。
(1)中国における市場化改革の位置付け
中国において、「市場化改革」とは、社会主義の要である計画経済を調整し(より端的にはそこから脱却することで)、経済成長を遂げることを意味していた。初期の頃には多分にイデオロギー的な色彩を持つ単語として使用されることが多かったが、今では、「取引が行われる市場全般についての環境」やいわゆる「ビジネス環境」について、経済発展を続けていくために必要な変革を進めること、を指す単語に変化したように感じている。言い換えれば、社会主義の国でどこまで資本主義的な市場化が行えるか、また、行っていいのかが論点となっていた昔とは異なり、現在では、経済発展を阻害しているものは何か、あるいは、どのように経済発展を支援していけばよいのかが「市場化改革」における論点であり、課題になっている、ということである。
たとえば、2024年8月21日、中国共産党中央弁公庁及び国務院弁公庁は、「市場参入制度の改善に関する意見」(市場参入10条)を発表した。
同意見には、次のような項目が列記されている。
①市場参入ネガティブリスト管理モデルの改善
中央政府及び地方政府が定める法令又は決定が設定する市場参入管理措置を、全て全国統一の市場参入ネガティブリストとして列挙し、リスト外の違法な参入許可の創設、増設等を厳禁する。
② 新たな業態・新たな産業分野の市場参入環境の最適化
深海、宇宙、航空、生命健康、新型エネルギー、人工知能、情報セキュリティ、スマート軌道交通、現代種子産業等の新たな業態・新たな産業分野に焦点を絞り、分野ごとに市場環境最適化実施方案を制定し、生産要素の革新的な配置の推進と市場参入効率の向上を行う。
これらはいずれも、計画経済の修正はどこまで許されるのか、といったようなことを問題視しているのではなく、①は、市場への政府機関による調整又は介入を制限することで市場参入を活発にしようとするものであり、②は、計画的な生産要素の配置、という計画経済の基本的考え方又は手法は踏襲しつつ、重点はあくまで、将来有望な産業の市場環境を最適化することによってその効率的な成長を支援しようということにある。
本稿で紹介する中国農村における市場化改革についての論文も、いわゆるイデオロギー的な点についてではなく、市場化改革という名の下、政府の権限がどのように民間に開放されてきたのか、ということを基調としている。本論文を紹介することが、中国の農村ではこの40年間でどのようなことが具体的に変わったのか、また、中国市場において政府が果たしてきた役割と今後求められる役割、中央政府と地方政府の関係性などはどうなっているのかについて理解を深めていただく一助になれば幸いである。
(2)中国農村における電子商取引の位置付け
中国では日本以上にデジタル化が進んでいる。特に電子商取引の進展によって人々の生活はより豊かになり、便利になった。電子商取引が進展するためには、オンライン決済などの関連技術だけでなく、取引された商品を配送するための物流と労働力の確保が不可欠である。日本はその両方に課題があるため、中国と同程度に電子商取引が発達することは難しい。しかしながら、農業・農村分野において日中に共通する課題が増える中、農村で新しい産業や就職先をいかに生み出し、いかに人口減少を食い止めるかという共通の課題に対して中国政府は電子商取引を活用していること、また、実際にも成果を上げていることからは、何らかの示唆が得られるのではないかと考えている。言うまでもないことながら、中国農村における電子商取引の推進は、上述の市場に関する日中共通の課題(物を作っても売れるとは限らない状況、またそのため生産物の販売に対して政府からの支援が求められる状況)への解決策ともなっている。
農村で電子商取引を推進することができる背景には、中国では電子商取引が既に一般的となっていることがある。中国では、東部地域を中心にインターネット技術を活用し、携帯電話にインストールしたアプリケーション上で物の売買をする電子商取引が定着しつつある。中国における食品のオンラインの売上比率は、中国商務部の報告書によれば2023年には27.2%に達していた[2]。同報告書は、中国を四つの地域、すなわち「東部」(北京市、上海市、深圳市といった中国有数の大都市が立地する地域。「沿岸地域」とも呼ばれる。)と、「西部」、「中部」及び「東北地区」(黒竜江省、吉林省および遼寧省の3省のことを指す。大連市は遼寧省に含まれる。)に分けており、「東部」だけで全国のオンライン売上の実に83.9%を占めるとしている。全国のうち農村地域に限っても、東部の比率は78.7%である。
たとえば、電子商取引が実施される架空の場でもある、16年に短編動画共有アプリとして始まった「抖音」(中国のTikTok)の利用登録者数は、20年には5億人を超えた。ライブ配信で物を売る「直播員」(販売員)も急増し、同年には新たな職業分類として正式に中国政府から認められている。政府部門でのネット活用も進み、県(日本の市に相当する中国の行政区域)の職員が観光振興のためにコスプレ動画を発信することは最早珍しいことではなく、県政府がショート動画を駆使してご当地グルメブームを作り上げる山東省淄博市の串焼きのような官製ブームの例も現れた。
このような、東部地域を中心に急速に普及、発展している電子商取引関連産業について、中国政府がそれを農村地域に導入し、地方経済を支えようとすることは必然的なことだろう。中国の農村には23年時点で4億9000万人が住み、このうち一次産業に従事する者は1億7663万人に上る[3]。これまで都市地域の経済発展を支えてきたのは農村地域の労働力であり、人口流動の大勢は農村地域から都市地域へという一方的なものであった。このような労働力の流出は、労働者以の高齢者や子どもだけが農村地域に取り残され、介護や教育に支障を来たすといった「老幼問題」のような社会問題を出現させた。
本稿で紹介する電子商取引の農村地域への導入に関する論文が、その効果として農村地域における就業機会の創出に着目する背景には、このような社会問題の存在がある。本論文を通じて、デジタル技術の進展とそれが支える電子商取引の普及という中国らしい変化が、中国農村ではどのように起き、また、その就業構造をどのように変えつつあるのか紹介したい。
なお、中国農村を出た者の中には、中国の都市ではなく日本へ来た者もあった。いわゆる「コロナ禍」を機に日本で加速したことの中に、たとえば、中国人技能実習生が大きく減少したことがある。このとき同時に中国で起きていたことは、農村出身の労働者が北京市や上海市のような中国でも有数の大都市から自身の故郷により近い都市へ移動する流れであった。中国の経済発展に伴う大都市での生活コストの上昇と、「コロナ禍」で特に顕著になった高コストに見合うだけの就業機会の減少は、農村の労働者にとって故郷から遠く離れた大都市での労働はコストに見合わないものと考えられるようになり、より故郷に近い都市で働く農村出身者が増えるようになったのである。日本のイメージで置き換えてみると、以前であれば三大都市圏に向かっていた流れが、今では自身の出身地に近い県庁所在へ向かう流れが出てきたような状況である。本稿で紹介した論文も、農村からの若い労働力の流出を抑える一つの方法として農村地域への電子商取引への導入があるとしている。中国で進む電子商取引が中国の農村にどのような変化をもたらしているのか、またそれが日本にどのように影響してくるのか、思いを馳せていただければ幸いである。
(3)論文の概要
1)論文1
「中国農村における市場化改革 ―その回顧と示唆されること―」(《中国农村市场化改革:回顾、反思及启示》、『中国農業経済』2023年7月号)
この論文は、中国農村における市場化改革をテーマ及び切り口として、1982年、中央「一号文件」[4]が「計画経済を主とし、市場による調整をその補佐的な役割を果たすものとして農村経済の発展を目指す」ことを宣言して以降の、①40年にわたる中国農業・農村の市場化改革の概括(回顧)、②その残された課題と今後の農業・農村政策への示唆、をまとめたものである。
本稿では、原文の表現及び内容にはなるべく即しつつ、論文執筆者の了解の下、論文のうち、現在の中国の農業及び農村を理解する上で特に有用と考える内容について抜粋、要約を行った。特に、課題や示唆を提示する部分では、中国で活動する日本企業が直面する制度的な問題点、あるいは人為的な問題と通底する部分を中心に紹介をした。
2)論文2
「農村電子商取引推進政策の就業効果とその仕組み」(《电商进村政策实施的就业效应与机制分析》、『中国農業経済』2024年4月号)
この論文は、まず、中国の農村における電子商取引の普及の程度に関するデータや、中国政府が進める農村で電子商取引の拠点を整備する政策について、概況を紹介する。その上で、この政策の、農村住民が非農業業務に就業することに与えた影響を分析することで、農村における電子商取引の進展はどのような仕組み、理論によって、農村住民による非農業業務への就業を促すのかについて、統計データを用いながら検証したものである。
本稿においても、原文の表現及び内容にはなるべく即しつつ、論文執筆者の了解の下、その統計分析の方法及び解析結果に関する記載は割愛し、論文で検証された就業効果などを中心に紹介をした。
[1] 中国の食料消費の動向、中国政府による自給政策などについて、『畜産の情報』(独立行政法人農畜産業振興機構、2024年7月号)「中国の畜産物を中心とした食料消費の現状と今後の展望」を参照のこと。
[2] 「2022年中国ネット小売市場発展報告」における社会消費品小売総額に対する比率。「社会消費品小売総額」とは中国の消費動向を示す指標で、卸売業、小売業、宿泊業および飲食業が個人消費者や社会団体に販売した消費財・サービスの総額を示す。
[3] 「中国統計年鑑2023」(中国国家統計局)
[4] 中国政府が毎年公表する文書。その年に最も重視する政治課題が取り上げられるとされ、04年からは「三農」(農業、農村、農民)が主題。